一九四三年一〇月二八日、アメリカ海軍フィラデルフィア実験場は大混乱に陥っていた。
「テスラコイル暴走!磁場急速に増大中!」
「電源を切れ!すぐにだ!」
「ダメです!コントロール不能!エルドリッジ視認できません!」
目の前でかき消すように駆逐艦エルドリッジ号が姿を消した。
管制センターは必死でその行方を探っていたが、全くもって船体の反応はない。
「レーダーに反応なし!」
「ソナーはどうだ!?」
ノイマン博士が叫ぶ。
「アクティブ、パッシブともに反応なし!望遠鏡にも姿が映りません!エルドリッジロスト!」
「いったい、何が起こったというんだ……」
ノイマン博士が呻いた。
強大な磁場により船体周辺の空間を包み込み、レーダーに対し不可視にする。
ニコラ・テスラによって提唱されたその計画は『レインボー・プロジェクト』と呼ばれ、一九三一年から現在まで秘密裏に実験が行われてきた。
そして計画の要となる磁場発生装置、通称『テスラコイル』を搭載した駆逐艦『エルドリッジ号』によってその日、大規模な磁場発生実験が行われたのである。
実験は最初、極めて順調に推移した。
スイッチを入れると同時にレーダーの輝点は急速に小さくなっていき、数秒後にはレーダーの画面からエルドリッジ号の姿は確認できなくなった。
「やった!理論通りだ!」
ニコラ・テスラからこの計画を引き継いで今まで研究を重ねてきたフォン・ノイマン博士は驚喜した。
無理もない、計画のスタートからこれまで一二年もかかったのだ。その言葉は計画に関わった人々全ての思いを代弁するものだった。
「レーダー画面よりエルドリッジ完全に消失。実験、成功です博士。」
「おめでとうございます。」
管制センターの係員が次々に祝いの言葉をノイマン博士にかけてきた。博士がそれに笑顔で応える。
だがその視線を海に浮かぶエルドリッジ号に向けた瞬間、その笑顔が凍り付いた。
「な……なんだアレは……」
その声に、管制センター全員の視線が海に向かって集中する。
船体をすっぽりと包み込むように、あたりの海面から緑色の光があふれ出していたのだ。
そして次の瞬間、一五〇〇tを超える重量のエルドリッジは海面から浮き上がった。
艦底から海面に向かって海水が流れ落ち、そこに大きないくつもの波紋を発生させる。
……目の錯覚ではない……
ノイマン博士がそう確信した直後、エルドリッジ号はかき消すようにその空間から消失したのだ。
「エルドリッジを探せ!消失するなどありえんことだ!」
「レーダー、未だ反応ありません!ソナーも感なし!」
「肉眼でも確認できません!」
博士の言葉に、管制センターの係員が叫ぶ。
「ボートを総動員しろ!海面に何か手がかりがあるかもしれん!急げ!」
既にエルドリッジ号が消えた海面に向かって、数隻のタグボート、駆逐艦が急行していた。ウェーキが海面上をいくつも交錯していく。
「ガーフィールド・トーマスより入電!『我これよりアクティブソナー及び磁気探査装置による海中捜索を実施する。』とのことです!」
「分かった、すぐに頼む。」
同じキャノン級駆逐艦である「ガーフィールド・トーマス」が海中捜索を開始する。艦上でせわしなく動き回る乗組員の姿が、管制センターからも視認できた。
「まさか、沈んだとは思えんが……」
そうつぶやいたノイマン博士の元に、再びガーフィールド・トーマスからの通信が飛び込んできた。
「ガーフィールド・トーマスより、『海中及び海底に構造物は確認できず』とのことです。」
その言葉に、ノイマン博士はほっと胸をなで下ろした。だがすぐ、次の疑問が頭をもたげてくる。
「沈んだのでないならどこに……」
そう言いかけた瞬間、再びエルドリッジ号が消えた海面が緑色の光に包まれ始めた。
「退避!退避しろ!全員その海面から離れるんだ!」
管制官がマイクに向かって怒鳴った。
驚いた様子のタグボートが慌てて舵を切り、その場を離れる。ガーフィールド・トーマスも機関を最大戦速にして、必死にその場を逃れようと増速した。
海面を覆う半球系の光のドームの端から、ガーフィールド・トーマスの艦尾が抜け出る。その艦尾の部分が、焼けこげたようにただれているのをノイマン博士は確認した。
「あの中で……なにが……」
ノイマン博士がつぶやいた直後、その空間が揺らめき、エルドリッジ号がその姿を再び現した。同時に緑色の光も霧散して消え去る。
「貸してくれ!」
監視員から双眼鏡を奪い取ると、ノイマン博士はそれを目に当て、エルドリッジ号を注視した。
「特に何もあったようには見えんな……」
そう言いかけて、ノイマン博士はそこに重大な違和感を感じた。
確かに船体には何も起こっていないように見える……だが。
「乗員が……いない……」
上甲板で作業をしていたはずの乗員が一人も確認できないのだ。あれだけいたはずの乗員が全くいないということがあるはずが……
気づいたノイマン博士が言葉を発する前に、監視員が叫んだ。
「艦橋に乗員がいません!空です!」
「人が乗ってない?二〇〇人以上乗り組んでるんだぞ?そんなことがあるもんか!」
監視員の言葉に、他の士官が声を荒げる。
「しかし実際……」
「待て!落ち着け!」
険悪な空気になりかけた管制室を、ノイマン博士が制する。
「確認してみよう。ガーフィールド・トーマスに打電。『エルドリッジ艦内の捜索を願いたい』そう伝えるんだ。」
「了解しました、すぐに伝えます。」
通信員が無線に向かって走っていった。
「よし、接舷完了。乗り込むぞ。」
ガーフィールド・トーマスの士官、フォード中尉の命令に弾かれるように、銃を持った兵士達が接舷用の仮設橋を走り抜け艦内に突入していく。
「よし、抜け。」
小さな声とハンドサインでフォード中尉が命令を下す。兵士は小さくうなずくと、ハッチを足で蹴り抜いた。
ガン!
蝶番を支点に、勢いよくハッチが開かれる。と同時に兵士がハッチの内側、部屋の壁に張り付き室内を警戒した。
その横をすり抜け、別の兵士が部屋の中を捜索する。
「……誰もいませんね……」
床に散らばった書類の端をつまみ上げながら、捜索に当たっている兵士がつぶやいた。
「だが窓が割れている。それにこの部屋の散らかりよう……何かがあったことは間違いない。」
そう言ってフォード中尉は部屋を見回した。確かに何かがあった様子は見て取れるが、さすがに何があったかまで推測することは今の段階では出来ない。
「全く情報が足りんな。」
そうつぶやいたフォード中尉に、他の捜索隊からの伝令が届いた。
「中尉!乗員の死体を発見しました!来て下さい。」
「死体?殺されてるのか?」
その言葉に、伝令は言葉を詰まらせた。
「殺されてるのは確か……なんですが……」
「どうした?」
死体の発見現場に向かって早足で移動しながら、フォード中尉は伝令係に尋ねた。
「殺されかたがおかしいんですよ……とにかく、見て下さい。」
現場に到着したフォード中尉がそこを覗き込む。死体にかけられていたシートを伝令係が取り去ると同時に、フォード中尉はその姿に驚愕した。
「……なんだ?……これは……」
その死体は仰向けに横たわっていたが、足といわず手といわず、あちこちに抉り取られたような直径一〇センチほどの孔が空いていた。
特に腹回りは酷く、内臓はほとんど原形をとどめないまでに破壊されている。
あとからやってきた兵士が、部屋の外でゲェゲェと吐いていた。
無理もない……
フォード中尉がため息をついた。こんな死体は見たことがないはずだ。少なくとも戦争でこのような死に方はあり得ない。
「死体は他にも?」
その言葉に、兵士がうなずいた。
「ほとんど全ての死体がこのような状態だそうです。」
「そうか。ご苦労。引き続き捜索に当たってくれ。」
敬礼を交わし、兵士が再び捜索に戻っていく。
その遠ざかる足音を聞きながら、フォード中尉は同じような状態の死体を見たことがあることに気づいていた。
それは子供の頃、車にはねられて横たわったシカの死体を、カラスの群れがつついたあとのものだった。この兵士の死体はまさにそれにそっくりだったのだ。
「……何かに……喰われた?……」
そう言いかけたフォード中尉のところに、さらに艦内の別のところを捜索していた隊の伝令員が飛び込んできた。
「中尉!奇妙な生き物の死体を発見しました!」
「奇妙な生き物……だと?」
フォード中尉は尋ねた。
「これです。」
伝令員が両手に抱えているものを床に下ろし、かけてあるシートを剥がした。
「何もんなんだこいつは?」
そこに横たわっていたものは、人に酷似した生き物の死体だった。
酷似、といっても一見人間にしか見えない。だが、その身長は三〇cm程度のもので、また背中には四枚の半透明の羽が生えている。
「女……なのか?」
どう見ても年端のいかない少女にしか見えない。髪は青みがかった緑色で、腰まで届く程の長髪。
さらにその生き物は一般女性の着るワンピースに似たスカート状の服を着ていた。
「中尉!生きてるのを発見しました!」
しゃがみ込んで死体を検分していたフォード中尉に、兵士が走り寄ってきた。
「生きてるのって、こいつのことか?」
死体を指さしたフォード中尉の言葉に、兵士がうなずく。
「くそ!こいつ噛みやがった畜生!」
「なにすんだよ!離せよバカ!」
甲板上に甲高い声が響く。
「なんだよ!あたしらは人間を喰っただけだろ!?別にいいじゃないかよ!あんなところにボケーっと浮かんでるあんたらが悪いんだ!」
兵士の腕の中で暴れる小さな少女がフォード中尉の元に運ばれてきた。
「だいたいあたしらだっていっぱい死んでる!おあいこだろ?」
キャンキャンと子犬のように叫びまわる少女をフォード中尉が覗き込んだ。
確かに何かどこかで見たような記憶がある。あれは確か、学校の図書館で見た図鑑。
そこまで思い至ってフォード中尉は気づいた。
「……妖……精……」
思わずそうつぶやいたフォード中尉に向かって、その妖精はキョトンとした表情で言った。
「なに言ってんだよアンタ。妖精を初めて見たって顔してさ。ここは幻想郷だろ?妖精も妖怪もいつものことじゃないか。」



